読書感想文:「青いバラ」(最相葉月/小学館)2013/03/09

 読み終わってすぐに感じるのは、「いやぁ久しぶりに本読んだーッ」っていう達成感。500頁に近いボリューム、その中身が多岐にわたる内容とそのそれぞれについての真摯な調査と検討の結果なので、ずっしりと重い。
 何の話かと言えば、バラの話。
 プロローグにある老いたバラの大家の語る「青いバラができたとして、さて、それが本当に美しいと思いますか」のひと言が始まりであり、そして帰結点だと思います。

 そもそも青いバラとは何か。
「青いバラ=不可能のイメージはいつ頃、どのように、形成されてきたのか。
 バラの栽培の世界史、そして日本史。
 バラの花そのものが「特別な花」となるイメージはいつ頃、どのように、形成されて来たのか。
 美しいバラとは何か。
「遺伝子操作」という言葉に希望と同時に感じる反発は何なのか。品種改良との違いはどこにあるのか。反発の程度が動物と植物、植物の中でも食用植物と観葉植物に対するもので異なってくるのは何故なのか。
 そして遺伝子を操作する以前に必要な、発色のメカニズムの科学的な解析はどこまで進んでいるのか。
 遺伝子操作での開発は、どこまで進んでいるのか。
 青いバラは美しくある事ができるか。

 バラ、というキーワードを軸に植物学、歴史、文化史、自然科学、生物学、工学と多岐にわたった内容を、きちんと1本の線に揃っているのは間に挟みこまれた「日本のバラの父」「ミスター・ローズ」と言われた鈴木省三、作者が最晩年に取材した時の話があるためだと思います。
「青いバラができたとして、さて、それが本当に美しいと思いますか」
 話の分野が代わるごとに、彼の発した冒頭のひと言を思い出し、区切りをつける。そしてまた別の側面から「青いバラ」を探る。

 ディベートを好む文化圏ではコントラバーシャル・イシュー、つまり異論の多い、結論づけるのが難しい話題のひとつとして好まれる「青いバラ」。
 その様々なアプローチ上で「青いバラ」を追うプラスとマイナスを、どちらに強く加担することもなく掘り下げ、そしてどのアプローチからもそれぞれに達する理由で冒頭の疑問に再度戻る。
 読んでいて面白い場所は、正直に言えば「正か邪か」の判断を問われない部分、例えば栽培の歴史であったり、技術面の話であったり、個人の年譜であったり、という部分なのですけれど、大事な所はこの「コントラバーシャル・イシュー」の存在理由な気がします。
 結論は出ないし絶対的な正があるわけもない、という状況が嫌いな人には苦痛でしかない本かもしれない。
 それでも真摯に、幅広く取材と調査を重ね、読者が青いバラを肯定するかしないかについて、何か判断を誘導したり強制したりする事がないように保たれたこの本の姿勢は私は好きですし、労作だと思います。

 バラの歴史、そして育種・栽培に関わる人の年譜。「青い花」自体の希少さと「青」を発するメカニズムの複雑さと脆さ。
 そういう議題を支える知識の部分の綿密な調査は圧巻です。
 美を求める育種家の情熱、技術の究極を追う科学者の情熱、そして市場経済における商品としての花。情熱のあり方の違いによるすれ違い。人が行うことである以上政治や時勢も無関係ではない、それ故の無情。
 だから、考えないといけないんだと。

 育種家の「青いバラ」は「バラの花弁に青の色素が存在しない」という高い壁をどうにかせねばならず、科学者による遺伝子操作からのアプローチではまだ色以外に拘る余裕が全くない。
 できたとして、青いバラは美しいか。

 今はこの本が出版されて12年経っていて、その間にサントリーの「青いバラ」はできていますけど、あれやっぱり紫ですもんねぇ……。

 ちなみにこの本は図書館から借りた本で、ハードカバーですが装丁が一目で分かる吉田篤弘・浩美夫妻(=クラフト・エヴィング商會)。あぁ、綺麗な本だなぁ。
 真っ白な表紙にアクセントカラーで使ってある青紫と、見返しの淡いブルーグレーは青バラの色ですね。花布が鮮やかに青いのがまた!
 汚れやすいけどいいなぁ。これは文庫じゃない質なんだよなぁ。

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