「リチャード三世」感想文(ネタバレ/衣装や仕草のこと)2017/10/21

 さて、1記事目で全体の概観、2記事目でマーガレットについて、と来まして3記事目。
 今度は衣装と外見で表現されるキャラクターの内面についてもすごかった、という話をいたします。
 パンフレットと記憶が頼りなので、間違いも多いと思いますが大目に見て頂けるとうれしいです。

 まず、女性陣。
 アンの、黒い喪服のマントをリチャードが剥ぐと下はミニのワンピースで肩と腕が丸出しになる。
 マントの下へ潜るリチャードも中々見てはいけないものを感じさせましたが、視覚でわかる籠絡ぶりでした。
 うん、アンは悪くない……確かにまだ若いんですよ、子供がいない位だし夫エドワードの若さも強調されている。参考程度に史実上の年を言うと16才です。それで夫は死に義父も死に、義母は国外追放。自分も実家もこの先どうなるかわからんままに、喪主をやってるんです。多分参列者も多くない。寂しく辛い、それでいて責任の重い役割です。後は任せて俺のもんになれよぅというリチャードにころっと甘えてしまう彼女は、愚かではあるけど責められまい。
 そして鬱々とした再婚生活の果ての即位。嘆くドレスは黒のイブニング。そして黒のマントを被せられることで黙殺されたことがわかり、その後沈黙の内に引きずって行かれ、死ぬ。
 このマントを被せられた後の全く動かない彼女の「物体」の説得力がすごいのですね。生きながらに既にして骸という。
 その喪服だったり「物体」だったりした彼女のイメージが強いので、リチャードの悪夢に現れ歌い踊るアンの真っ赤なイブニングがこれまた鮮烈。若く華やかで活気に溢れるそれが本来の彼女、という美しさの後で思うと彼女の奪われたものの大きさがわかる気がするんですね。
 そしてエリザベス。
 長くプリーツもたっぷりした灰色のドレスの裾の美しさ。この裾さばきの美しさはハイヒールの扱い同様に賞賛されてしかるべき。色はかつてのグレイ卿夫人でもあるからか。スキンヘッドに冠がよく目立ち、手には黒い扇。そしてエドワード四世の枕頭へ行く時は紫の、ボリュームの減った裾、小さくなった扇。その後の喪服、子供たちを弔う彼女は既に扇も手にしない。奪われる過程の現れですね。
 ヨーク公爵夫人の、顔の見えないベールと装飾的な造形のドレス、色は黒。
 これは奇抜に作ったというよりは時代物の雰囲気があって、かつ無彩色。二階席からは影のようにしか見えませんでした。壤晴彦さんの朗々と響くバリトン(大蔵流の修業をされた方でもあるんですね、謡のようでもありました)でのみ個性が表れる、重厚だけど事態に何の影響ももたらし得ない人の哀しみがあります。
 で、マーガレット。
 オーバーサイズの男物のコート。どう考えても彼女に合わせて作った物ではない誰かの古着であるその下がランジェリードレス。ぼさつく白髪混じりの頭と合わせて、思うところは「困窮」の二文字です。その中で足下だけはきりっとしたハイヒール。そこに誇りがあるように見えますね。そして体が中で泳ぐ程大きなコートはマントと同様の優美さで動き、男仕立てであるシルエットは性差を曖昧にし、そこに彼女の異能と強さが現れる二重の仕掛け。杖は老女を表す小道具であると同時に魔女の杖でもある。
 冷ややかな声であのヒキガエル、と杖で指し示されたい人はおらんか。何度思い出しても強さしかない。

 髪型や裏声で殊更に女を作らないけれど、仕草は皆エレガントに女というあの不思議な色気。
 そして唯一の女性キャストであり男性を演じる「代書人」の渡辺美佐子さんに感じる空気はその逆の手法で作った物ですね。
 男装にヒゲ、女性が男性を演じるときの所謂ヅカっぽい声。
 男性しかいない舞台に上がると、はっきり「周りと違うもの」を感じさせます。
 原作ではヘイスティングズ卿の罪のでっち上げを皮肉混じりに嘆く「公証人」でしかない役目ですが、本舞台ではその役の他に拵えからシェイクスピアの見做しを兼ね(そう言えばシェイクスピア女性説なんてものもありましたね)、そして幕を引く役割から言えばリッチモンド伯も兼ねるのでは無いかという見方もできます(この読み方をしたさんぱさんはさすがだなと。確かに劇場で配られる人物相関図には写真部分を「?」にしたリッチモンドが存在している)。
 舞台の中の空間と別の位相の者が入っている、という位置なのだと思いました。
 
 そして勿論リチャードの衣装を語らねばなりますまい。
 何しろ変わる変わる。白シャツの前を開けておどけてポーズを取り道化の小道具で遊ぶ冒頭部、せむしでびっこ、という所謂リチャード三世の特徴として上げられる拵えがまた強調の具合が数段階。
 物語の序盤やる気に満ち満ちた頃のリチャードは、だまくらかしに行く時に相手や場に合わせて服にも凝るんですね。そして油断を誘いたい相手の前では殊更に背を曲げ、足を引きずり、その為の変わった杖まで持つ訳です。
 一番美しい服を着て、かつ一番ひどく体を丸めているのはエドワード王の御前だったですかね……。甥である幼い王子兄弟を迎える時も衣装は同じでしたっけ、黒の毛皮の襟のついたコート。
 そう言えば、リチャードが最初にものをガツガツ食べるのは幼い兄弟を迎えるときが最初でしたっけ。
 あの食べる描写は緊張というかストレスの緩和だろう、と思うのです。
 食べている時にリチャードは人と目を合わせませんし、笑顔にもなりません。
 あの兄弟に接するのは、怖いんですね。その一番に王位簒奪がかかっていることはわかっていますし、皇太子エドワードは聡明です。幼いので理屈が素直で、現実的な利益で釣るのも難しい。ヨーク公はあほの子(衣装でよく表したものだと思いました飾り襟に裸サスペンダーの半ズボン…)とは言え、武器を欲しがったりふざけ半分に殺されかねない物騒さもある。
 子供相手にものをわかりやすく言おうと思えば嘘もばれやすくなりますし、それにやっぱり子供をだましたり脅したりはどこか後ろめたさが勝つんでしょうね。
 天性冷血で残虐なリチャード、というより小心者でどこかお調子者で、途中で留まることのできない弱さのあるリチャードに描かれていたように思います。
 殺すのを厭わないというより「殺せ」と言うのを厭わない男なんですよね。
 明るみにされたくない、というのもあるけれど自分ではやりたくない、というこの甘さ。
 今回の舞台で描かれるのは、子供の視線に耐えきれずに手土産の菓子を貪り食い、眠れぬ夜を過ごして会議で居眠りをし、腹を壊して中座するリチャードです。
 自分の即位に根回しをしておきながら、ベイナード城で側近と飲んだくれて気難しく黙っているリチャードです。
 そんなリチャードは王位簒奪の野望の達成に近付くにつれ、段々薄着になっていく。「せむしでびっこ」もやらなくなる。
 気の小ささや意外な打たれ弱さを隠しきれなくなってくるんですね。
 革パン一枚でビニールシートの掛かった玉座と睦み合う、あのシーン。
 野望の達成の喜びの筈なのに、表情は恍惚というよりむしろ当惑と放心に変わっていく。
 ビニールシートの中に潜り込み、目を見開き口を半開きにした異様な表情で玉座の上に丸まるリチャードは、苦しそうに見えました。
 今まで玉座を見上げてきた側だった自分の視線と意識が、今度は自身に注がれる様を幻に見ているようでもありました。
 逃げ出したい繭の中か、それとも蜘蛛の巣に掛かった獲物か。劇の冒頭ビニールを被せてぐるぐる巻きにして連れ去られるクラレンスを思い出させる素材でもあり。
 何者かが死んでいく様を見た、と思いました。
 このシーンのグロテスクと美しさは、今の佐々木蔵之介以外で出せないだろうな、と思いました。

 それ以降、リチャードは人と目を合わせて喋らなくなり、ひっきりなしに何か口にするようになり、余裕を繕う表情も消える。
 幼い兄弟の存在に怯え、バッキンガムに逃げられ、雑にエリザベスを丸め込んでいる間に反乱の蜂起が始まる。
 その間マントのように羽織り続けたビニールで、リチャードはバッキンガムを殺す。
 そして悪夢。
 あの賑やかで華やかな場を悪夢だと言うならば、居たかった場所に受け入れてもらえなかったこと以外に無いのではないか。
 王座を欲したのは周囲の耳目を集め、目立ち、愛して構ってもらいたい、道化になりたい一心からか。
 賑やかな宴の中を引き回され、笑顔で拒まれ、放り出される。
 馬を寄越せ、傷を縛れと叫んで目覚める程の夢。
 道化となると宣言して喝采を浴びる劇冒頭との対比。

 狡く、せこく、それでいて寂しく切ないリチャードでした。
 リチャードもそれを囲む人々も、たった3時間足らずの間に美術や衣装、音響、役者の体、全てを利用して濃厚に描写された舞台でした。
 すごいもん見たんだなぁ。

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